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歴史を学ぶ意味

by yajul

「どうして勉強しなきゃいけないの?」

太古の昔から遥かなる未来まで問われ続ける人類永遠のこの課題。
「最近の若いものは…」級に普遍性のある問いと思われるな!

この質問に対してはこれからも無数の「うまい答え」が出てくるだろう。また、それを考え続けるのが俺達人類の課題と言えるのかもしれない。前回のエントリで登場した、太上老君の言う「大道廃れて仁義有り」の状態を脱するその時まで、この問いは繰り返されるのだろう。

しかし、例えば英語や数学だと「何故勉強するの?」がわかりやすい。
英語は単純に世界が広がるわけだし、数学もまた世界共通語であるから。
地理や家庭科なんかも極めてわかりやすい。国語だってそうだろう。
もちろん、納得がいくかは別として、「こういう利点があるよ」と答えやすい教科と言える。
音楽、体育、理科系科目、みな「それができると便利だから」と言うことができる。

じゃあ、歴史は!?

プロイセンの鉄血宰相ビスマルク曰く…「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」・・・ということだぜ…?

と、かっこ良くキメてみても、いまいちその「利点」がわかりにくい。
具体的な利点は?
何ができるようになるんだ?
これらの問いになかなか答えにくいのが歴史かもしれない。

そもそも、ビスマルクおじさんの答えは極めてハードルが高い。それはもう、高い!
俺達とビスマルクおじさんの間にはブ厚い賢者の壁がそびえ立っており、「歴史から学ぶ方法」に手をかけようともがけども、全く取っ掛かりが見当たらないという状態だ。
歴史上の賢者のことは学べる。賢者たちの至った結論も学ぶことはできる。
しかし…それで!?その後は!?
賢者の壁を前にして途方に暮れる愚者たる俺は苦悩するというわけだよ。

歴史は楽しい。歴史は面白い。今ある俺達の世界は、連綿と続いてきた人類の営みの上にあることを実感できる。
歴史上のほんのささいな事件が俺達の文化を、世界を形作っている。
偉大な英雄がいて、とんでもない無能が居て、小説を凌駕する物語がある。
しかし思うのだが、おそらく「歴史を学ぶ」ことの一番の利点は、学ぶ内容にあるわけではないのではないか。

歴史は、歴史を学ぶ過程をこそ学び、それがまさに「歴史を学ぶ利点」になるんじゃないかな。

前回、太上老君に怒られたときのように、歴史は常に「書かれていること、書かれていないこと」のせめぎ合いだ。
人類の歴史を学ぶということは、「都合のいいことを言っている人の裏を取っていく」作業にほかならない。

例えば、俺の愛する清少納言、清原諾子(なぎこ)さんの「枕草子」がなぜ素晴らしいのか。
それは、「藤原道長に敵対したがわから書かれた記録」だからだ。
「歴史は勝者によって紡がれる」と言われるが、それに公然と、美しく異を唱えたのが彼女だからだ。
歴史に無数にいる「単なる敗者」。その「敗者」の世界がこれほど魅力的に書かれたものはそうそうない。
「道長が跪くのを見て胸がすっとした」と、藤原氏全盛期に書き残しているのである。これはすごい。
(もちろん、彼女が書いたこともまた「彼女にとって都合の良いこと」である。しかし、その「都合の良い話」は清少納言自身でなく、定子にとっての、ということがわかるので俺は諾子さんが好きなのだが)

多少脱線したけど、歴史を学ぶことというのは、常に異なる視点、異なる記録を組み合わせていくことだ。
自分の常識を疑い、記録と記録の間から「事実」を推定し、また新たな記録が出ればすぐに「事実」を疑っていく。
これが歴史を学ぶということだ。そして、これこそが「歴史を学ぶ利点」だ。そう思う。

長々と書いてきたけど、歴史を学ぶ利点とは、
多角的な視点を持てること。
批判的思考ができること。
常識を疑えること。
新しい知見を歓迎できること。
意見を変えられること。
知識に謙虚でいられること。
だろうと思う。

学ぶ過程をこそ学ぶことが出来たのなら。





yajul
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